外交戦で勝てない日本 昔も今も

日本の外交は相手国の真意・思惑・国内事情の研究不足の為、失敗した例が多い。現在も中国・韓国との間にわだかまりがあるが、それぞれの国内事情も外交姿勢に大きく影響している。
 国内政治に問題が起きると、故意に外国との問題を起し、愛国心、敵愾心を煽って国民の眼を外に向けることがある。それを読めないと面倒なことになる。先年、重慶及び北京のサッカー場で起きたブーイング騒ぎの折り、中国政府は報道管制を敷き、騒乱を局地に抑え込んだが、今春の反日暴動は、インターネットの悪質な扇動も、違法な暴行も全く規制されなかった事実の間にどんな国内事情があったか、推測する必要がある。
 私見ではあるが、かつて日本も2・26事件の後、決起将校に対し、天皇が、側近・重臣の言うがまま逆賊として処刑したことに不満の声が強く不穏な空気が残っていた。そんな中で起きた盧溝橋事件である。故意か偶発か定かではないが、この機会に一挙に大部隊を中国に送り込み、戦火を拡大し不穏な空気を一掃、戦争景気に国民を酔わせた。
 国内問題解決の為、国際緊張を発生させる手法は現在も行なわれている。“強いアメリカ”が何故戦争を仕掛けるのか、裏に何かあるに違いない。
 相手国を見下して外交交渉を失敗した結果、後年、国家の命運を左右する事態に発展することもある。
 最悪の例は、大正4年(1915)、大隈内閣の対華二十一ヵ条要求である。孫文等の革命が成功し、清朝政府を倒して、中華民国を創立し、日本の明治維新に学べと若者が続々日本に留学する変化を読めず、侮蔑観丸出しの非常識な要求を突き付けた結果、中国を一挙、反日に転じさせ、90年後の今日、未だに中国の歴史教科書に日本人の中国蔑視の証拠としてその事実が載せられている。
 満州国を作った日本は、昭和8年、ジュネーブの国際連盟で、中国代表駐米大使顧維均と蒋介石夫人宗美麗の抜群の英語力と巧妙なロビー外交に圧倒され、非難の矢面に立った。日本代表松岡洋右(ようすけ)は、全く歯が立たず席を蹴り、日本は国際連盟を脱退した。この日本外交の敗北も日本国内では快挙と報ぜられ、松岡は凱旋将軍の様に迎えられたが、孤立した日本はナチス・ドイツに近づいて行き、日・独・伊三国同盟に進んでいった。
 私達の受けた戦前の歴史教育では、日露戦争で、最後に日本海海戦でバルチック艦隊を撃滅し、アメリカの仲裁を受け入れ、ポーツマス条約を締結したと教えられた。然し、講和に至る経緯の真実は全く知らされなかった。
 日清戦争後の10年間、満州に侵入し、朝鮮を伺うロシアに対し、日本は急速に軍事力を強化した。その経費は膨大なもので、とても税政でまかなえるものではなく、巨額の国債が発行された。もっとも頼りになったのは、日英同盟のよしみで日本に好意的なイギリスであった。後に2・26事件で殺害された高橋是清が手腕を発揮して、ロンドンで日本の戦時国際を売りまくった功績は大きかったという。連合艦隊旗艦三笠をはじめ、多くの主力艦はイギリスで作られていた。
 ロシアを圧倒した日本軍であったが、すでに全力を出し切っていた。超大国ロシアはアジアの戦闘では敗れたが、時間をかけて再び大軍を送り出す余力は充分にあった。ロマノフ王朝末期の不穏な空気はあったが、長期戦になったら日本が危ないと判断したアメリカが双方に停戦を持ちかけたのである。
 勿論、海の向こうのアメリカが善意だけで調停に立ったわけではない。イギリス、フランス、ドイツは既に中国に多くの利権を獲得していた。日露の講和を調停して、満州・中国に足掛かりをつける機会を狙っていたのは当然であった。
  調停の結果、結ばれたポーツマス条約で、日本は三国干渉で失った遼東半島を取り戻し、満州にあったロシアの鉄道等の資産を受け継ぎ、莫大な資産と利権を手にすることができた。然し、戦勝に酔った日本人は夜郎自大(実力以上に自分を過大評価する)に陥り、現地軍に取り入った悪徳商人は、阿片に汚染されていなかった満州に阿片を持ち込み、巨利を得ていた。
 その頃、予想していた利権が手に入らなかったアメリカでは、講和を世話してやったのに恩を仇で返したと排日気運が盛り上がった。そして“黄禍論”が拡がった。白人国ロシアが黄色人種国日本に負けたことに対する危機感もあったであろう。
 明治41年(1908)、アメリカは大艦隊を日本に寄港させている。勿論、親善名目の示威行為である。白塗りの軍艦は“白船来航”と騒がれた。この時期、日本が中国進出の癌であると悟ったアメリカに、35年後の日米決戦が芽生え始めていた。ポーツマス条約締結の時、アメリカの思惑を考え、上手に対応していれば、歴史が大きく変わっていたかも知れない。
 今の日本は「アメリカに追随していれば安心」と準属国的地位に甘んじ、アジアの諸国を見下すような態度を見せている。昔「アジアの盟主」と自称したウヌボレ気運が抜け切っていない様な面もある。
 原始、日本に文字をはじめとする文化をもたらしたのが中国であることも忘れ、中国を罵倒し続ける知事もいる。複雑な日韓関係を更に困難にする“竹島の日”を制定した県議会もある。これに対して政府は、地方自治体の問題として放置し、竹島問題の火に油を注いだ。
 かつて「ルックイースト・日本に学べ」と言っていた東南アジア諸国の眼も、新興大国・中国に向いている。日本はアジアの孤児になるのだろうか。歴史を振り返り、相手国の気持ちを思いやることも外交上必要だと思う。
 それは決して敗北主義ではない。

 

 

 

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